適応障害になるまでの体験

はじめまして、やることなし子です。

 
私は、2021年4月に入った会社を同年10月から休職しています。
 
半年しか社会に出ていない人間にブログが書けるのかという不安はありますが、記録用にゆるゆる書いていきたいと思います。
 
よろしくお願いします。
 
昔から不安がりで、幼稚園に行くのも最初は怖かったです。てか号泣してました。
 
小学生のときは、隣の席の子から唾をかけられるとか、通学路にいるおじさんが怖いとかで不安で、大人の付き添いがないと行けないこともありました。
 
勉強は好きだったし、友達もできたので、高校卒業まで楽しく学校に行っていました。
 
大学生になって2年目、憧れていた資格のための勉強や実習がつまらなくなって、大学を休みがちになりました。
 
大学のカウンセラーさんと面談し、資格を諦めて、興味のある科目で単位を補うことに決まりました。
 
そこからはまた楽しく大学に行き、アルバイトも楽しくやり、無事卒業しました。
 
 
そして今の会社に入りました。
毎朝6時に起きる生活を送っていました。
 
大学生の時は朝起きられなかったけど、アルバイトの日は帰宅が0時を回っていたので、
 
「生活習慣が変われば朝起きられるようになるだろう」
 
と思っていました。
 
睡眠時間も元々長く、8時間は必要だったので、夜10時には就寝する生活をしていました。
 
しかし、半年経っても朝起きるのがつらいのです。
 
 
それどころか夜10時に寝るのもつらくて、
寝れないことに焦りを感じ、泣きながら0時すぎに寝落ちることもありました。
 
仕事もはじめは楽しかったけど、立ちっぱなしで疲労が溜まってきたり、
デスクワークではミスするのが怖くなってきたりして、徐々に行きたくなくなってしまいました。
 
しかし頑張りたいという気持ちはあったので、立ちっぱなしでも疲れにくくするためにリハビリに行ったり、
ミスしないように2〜3回確認したりしていました。
 
体調面でも、仕事中唇が痺れるようにピクピク動いたり、
耳が塞がっているような感じがして、人の声が聞こえにくく自分の声が反響していたりしました。
 
6月にズル休み(当日欠勤)を2日して、
8月はコロナウイルスのワクチンの副反応もあり気持ち多めに休みました。
 
 
その8月に、受電の研修をしていました。
研修を受け持っていただいた上司の方とは仕事の進め方が全く違っていました。
 
私は、話すのが得意でなく、言葉が出てくるのが遅いので、何を言うにもマニュアルが欲しいタイプ。
 
上司の方は、遠回しに言ったりうまく言ったりするのが得意で、大体のマニュアルがあればあとはスラスラ言えるタイプ。
 
そこで私は、何度も練習したり、上司の方のうまい言い方や、自分なりにわかりやすくしたセリフを1つずつメモに書いて、自分のためのマニュアルを作っていました。
 
正直、受電の部署には配属されないとわかっていたので、1ヶ月の研修をやり切ったあとは取りつぎのみに徹しようと思っていました。
 
 
しかし、他の研修との兼ね合いで、1ヶ月の予定が1ヶ月半に伸びてしまいました。
 
研修が延びた半月の間は特に会社に行きたくなくなりました。
 
つらすぎて、毎日「明日行きたくない」と言いながら寝て、朝泣きながら行っていました。
駅までの道で事故に遭えば行かなくて済むと考えたこともあります。
 
半月の間1日だけ当日欠勤しましたごめんなさい。
 
 
そんなこんなで一応半月乗り切ったのですが、私のライフは0だったようで、10月はじめに無事「適応障害」と診断され、休職にいたりました。
 
 
上司の方が悪いとか、会社悪いとかではなくて、色々重なった上でこうなってしまったと思っています。
 
今はまだ自分が悪いのではないかと思うときもありますが、徐々にこの気持ちもなくしていきたいです。
 
次回からは休職中の自分の様子を記録していきますので、よろしくお願いします。